某社の前副社長の「教育教育・・・」というLINE文書が巷を賑わせています。教育と洗脳は、どちらも人間の思考や行動を変化させるためのプロセスです。しかし、教育は、個人の成長と自立を促すものである一方で、洗脳は、個人の自由意志を奪い、特定の思想や行動を強制するものであるという違いがあります。

洗脳

教育と洗脳の定義

は、個人が社会に適応し、自立して生きていくための知識や能力を身につけることを目的としています。そのため、教育では、個人の思考や行動を自由に選択できるように、様々な情報や意見に触れる機会が提供されます。また、教育では、個人が自分の考えを明確に表現し、自分の意見を主張する力を身につけることを重視しています。

一方、は、個人の自由意志を奪い、特定の思想や行動を強制することを目的としています。そのため、洗脳では、個人が自分の思考や行動を自由に選択できないように、様々な情報や意見が遮断されます。また、洗脳では、個人が自分の考えを明確に表現したり、自分の意見を主張したりする能力を奪うことを重視しています。

教育と洗脳は、どちらも人間の思考や行動を変化させるプロセスですが、その目的は全く異なります。教育は、個人の成長と自立を促すものである一方で、洗脳は、個人の自由意志を奪い、特定の思想や行動を強制するものであるという違いがあります。

企業における教育

しかし、企業の中で行われる教育の中には、個人が”会社”に適応して生きていくための知識や能力を身につけるという名のもとに、ルールでがんじがらめにして個人の自由意思を奪って行動を強制し、トップを崇めるような特定の思想を植え付けるようなこともあります。教育と洗脳は、建前としては明確に定義が分かれるものの、実体としては境界線がとても曖昧なのだと思います。

また、教育の中には「つけ(躾)」といういものもあります。しつけは、望ましい行動や態度を育てるための教育的な手法です。例えば、親が子供に礼儀正しい態度やルールを尊重することを教える場合など、肯定的な行動を強化したり社会的なスキルや価値観を身につけたりするなど、個人の成長や社会的適応を支援する目的で行われます。

このしつけを、”社会”的適応ではなく”会社”的適応を過剰に支援する目的で行われているのが、いわゆるブラック企業が行っている「教育」なのでしょう。ハラスメントによる従業員の労災が明るみになった時に、企業側が「あれは教育である」と発言することにも納得できます。

このようなことをあらかじめ知っておくだけでも、自身がそのような状況に陥った場合に対処することができるかもしれませんね。

本記事を執筆しての気づき

ところで、洗脳は「解凍→変革→再凍結」というプロセスで行うそうです。
しかし、このプロセスは、キャリアカウンセリングでも同じように進みます。違いは相手の外から直接アプローチではなく、クライエントが自身の中からアプローチする支援をするところでしょうか。
次回は、この点をすこし深堀りしてみようと思います。