先日、「化学物質規制動向」というセミナーに登壇させていただきました。このセミナーの資料を作成している中で、とある疑問に苛まれていました。それは「自分と環境(外界・自分以外)の境目ってどこなのだろう」というものです。

化学物質が規制される背景には、以下のような側面があります。

  • 化学物質による人の命や健康に関する影響を緩和するため
  • 地球環境を破壊しないため

ただ、今回はいつもとは違う感覚を覚えました。生命は、みんな渦なのかもしれないというものです。

突然このようなお話をしても、よくわからないですよね。少し順を追って説明します。

境目ってどこだろう

発端は欧州のBPR (Biocidal Product Regulation:殺生物性製品規則)のコンテンツ作りでした。
いつのころからか、「抗菌」という文字を見るようになりました。例えば、エスカレーターの手すりやトイレの便器、洗面台などです。
新型コロナの感染が拡大している現在、「感染拡大防止」というのは理解できます。でも、「抗菌」を望む人からよく聞く理由はそれ以外のものがあります。それは「誰が触ったのかわからないものは不潔で気持ち悪いから」というものです。同じような汚れや細菌なのになぜそう感じてしまうのでしょうか。「自分が持っている、あるいは自分の表面に付着している汚れや細菌は気にしない。」でも、「自分以外のところにあるものは不潔で気持ち悪く感じる」。その理由は何なのだろうと思っていました。

思い返せば、自分の中にも似たような価値観があります。自分だ出した便は触りたくありませんし、唾や痰も一度口から出てしまえば、さっきまで自分の一部であったものとは思えません。

自分の中から出たものは、自分の一部とは認められない。つまり、自分と外(環境)を、顕在意識の中で分けているのだという思いに至りました。

生命は渦?

ヒトを含めて、生物は環境と切り離されて生きていくことはできません。空気や水という物質はもちろんのこと、温度、圧力といった物理的数値、食物を含む生態系など、すべてがそろわないと生存できないのです。そして、自分の中にも生態系があります。このように考えていくと、自分は環境の一部であり、環境から切り離して考えることはできないのだという考えに至りました。

環境の流れの中で、たまたま生まれた存在。環境という流れの中でしか生きられない存在。そうか、生命って環境の流れの中で生まれた渦みたいなものなんだ。
というわけで、冒頭の「生命は、みんな渦なのかもしれない」という言葉に至ります。

「だから何」と言われると困るのですが、自分の気づきをシェアしたいという欲求にかられたというのが正直なところです。
強いて言うなら「ヒトと環境を分けて考え、ヒトを特別扱いするのはどうなのか」という課題提起でしょうか。

でも、「自分」と「環境」の境はどこにあるのでしょうね?